mico*の作品は、ある日突然生まれることがある。

2022年2月2日、この日も一つの作品が完成した。

作品を言葉で体現すると、こうだ。

「叩いた真鍮でできた土台に流木が乗っている。流木の割れ目からは細くて長い真鍮の管が伸びている。
真鍮の先には貝殻。上には卵の殻が一輪の花のように咲き誇っている」

わかるだろうか。しかし、これは紛れもない事実だ。

mico*自身もなぜこの作品ができたのか、わからないという。
聞くところによると、何の気なしに手を動かしていると、
アトリエの机にある物が自分を使ってくださいと言わんばかりに、目に付くらしい。

このような刹那的に生まれた作品にタイトルをつけることは大抵難航し、
ひどい時には作る時間よりもタイトルをつける方が時間がかかる時もある。
言の葉を手のひらに集めても、風に飛ばされるように定まらないのだ。

なぜか。

本日、一つの体現する言葉の発見により、その答えは見つかった。

「即興劇」

mico*の作品のうち、「即興劇」に分類される作品は、ある日突然生まれる。
それは、その日その場所にたまたま同じ時に出会ったものが演じた舞台そのもの。
予告もタイトルもコンセプトも脚本もなく、ただただ同じ時に出会った各々が、重なり合う。

その結果として完成した作品に、タイトルなど付けられようか。

ただ、2022年2月2日に演じられた即興劇。それが事実だ。

通常、作品を鑑賞するとき、我々は知識を元に作品を評価しようとする。

「どの作家に影響を受けて制作したのか?」
「日本人がこの作品を作って発信する意図は?文化的背景は?」
「この作品の社会的メッセージは?」

しまいには、
「なぜ、卵の殻を使ったのか?」

全ての答えは、「即興劇」。これがたった一つの事実である。

私たちはずっと、これもまた即興で重ねられたmico*の「*」は「光」という解釈をしていた。
しかし、この「*」はまさに、様々な物が同じ時に出会った瞬間を体現していることに気づいた。

本日をもって、mico* by miyo shiina のコンセプトは「劇場型ジュエリー」と銘打つことにする。
全ての作品は「即興劇」や「ロングラン」などの劇場にまつわるカテゴリーに分けられるためだ。

mico*を形成する中で欠かせないバックボーンである「舞台」「演劇」。
ようやく、ブランドコンセプトがバックボーンと一致した瞬間が訪れ、全てのことが線で繋がった。

今後、「即興劇」に値する作品のタイトルには日付のみが記録される。

その日付がたまたま見る人によって特別な日であったり、
作品の一部がたまたま見る人の記憶に繋って化学反応が起きるかもしれない。

その瞬間も含めて交わり合った時、
今度は手に取る人の目の前に舞台が広がり、その人自身も演者と化すのだ。